天下の大バカ殿と呼ばれた男

天下の大バカ殿と呼ばれた男

徳川綱吉公の功績

天下の大バカ殿と呼ばれた男

シロハ便り第121号 2019年2月

 

天下の大バカ殿と呼ばれた男

 インフルエンザが大流行しています。 1月は降水量が少なく、空気が異常に乾燥していたためです。
 インフルエンザが流行してしまうのは、風邪との区別がつかなかった人が、学校や会社へ行くことでウイルスをまき散らしてしまうことが考えられます。

 

 どこでもらってくるか分からないインフルエンザですが、もし、家族の誰かが、かかってしまった場合、家族全員が全滅しないように対策をする必要があります。

 

 そこで、インフルエンザの感染を阻止する方法ですが、インフルエンザにかかった人に、紅茶を飲ませてください。紅茶に含まれるテアフラビンという成分が、インフルエンザウイルスのトゲトゲにくっついて感染力をなくす効果が証明されたらしいです。
 レモンティーにすると効果が5倍になるようです。

 

天下の大バカ殿と呼ばれた男

 

 日本の歴史上、戦国時代から太平の徳川幕府の時代、数々の名君が生まれました。信長、秀吉、家康、信玄などなど、大河ドラマで何度も登場してくる偉人達です。

 

 そんな中、太平の世を築いた徳川幕府の将軍の中で、名君と称えられているのは、家康はもちろんですが、3代将軍の家光と8代将軍の吉宗だと思います。 家康が築き、家光が盤石にし、中だるみを吉宗が締めたことで、江戸幕府は300年続きました。

 

 では、天下の大バカ殿、犬公方と呼ばれたのは、ご存知の通り天下の悪法「生類憐みの令」を出した5代将軍綱吉公です。

 

 年末になると毎年話題になる忠臣蔵の時代の将軍でもあり、浅野家は断絶にしてあの憎たらしい吉良上野介はお咎めなし!? 喧嘩両成敗はどうした! とさんざん言われた将軍でもあります。

 

 しかし、歴史の認識は年々変化してきており、この綱吉公も再評価する見方が出てきています。 吉良上野介もドラマではおもしろくするために超悪者に描いていますが、歴史の史料を詳しくみていくと、浅野家の断絶を望んでもいなかったし、そんな大ごとにしてほしくないと望んでいて、そもそも浅野内匠頭もあのくらいで切れるなよ!っていう見方もあります。

 

 そんな忠臣蔵の背景も、時の将軍綱吉公への反感からもきているのかもしれません。その反感の元になっているのが、あの天下の悪法「生類憐みの令」です。

 

 さて、ここで、綱吉公が生類憐みの令を作った理由ですが、ドラマなどで描かれているように、世継ぎに恵まれない綱吉さんにお母さまがこう言ったのがきっかけと言われています。 「占い師にみてもらったら、あなたが前世で生き物を殺生していたのが原因なので、生き物を大切にしないと世継ぎは生まれませんよ。」 

 

 これを当時の庶民から言わせれば、「あのマザコンのバカ殿がいかがわしい占い師に言われてこんな法律作りやがって、犬が歩いてたら大名と同じように頭を下げろって、ふざけるな!」って感じでしたでしょうね。

 

 ただ、ここで当時の時代背景を考察してみると、この天下の悪法「生類憐みの令」が全く違った見え方をしてきます。 もしかすると、綱吉公は歴代きっての歴史上最高の大天才君主だったかもしれないのです。

 

 当時の時代背景は、戦はなくなったかもしれませんが武士が威張り散らす特権階級であることは変わらず、刀の試し斬りに人を斬っても処罰されない時代でした。 さすがに侍同士の斬り合いは色々問題があったでしょうから、気を付けてはいたでしょうが、庶民は何の罪もなくても平気で辻斬りにされていました。 

 

 ちなみに、諸外国では車は右側通行が多いのに日本は左側通行なのは、侍が刀を左の腰に差していたのが始まりです。 江戸のような大都市で右側通行をすると、侍がすれ違う時に左腰に差している刀の柄同士がぶつかりやすくなります。

 

 刀の柄と柄がコツンと当たっただけで、無礼者!となって斬り合いになる時代、それを防ぐために江戸では、左側通行になり、その名残で日本の道路は左側通行になっていきました。

 

 そんな侍が刀という凶器をもって平気で人を斬っていた時代です。 現代の通り魔なんてレベルではないほど危険な日常でした。 お父さんが朝、行ってきますといって家を出て、帰りに刀の試し斬りで辻斬りに合って帰ってこなかった、でも、誰も罰を受けることはない。 そんな時代です。

 

 この辻斬りが、綱吉以降激減しています。 つまり、綱吉公が将軍になる前に比べて、なった後、生類憐みの令を出してから後の時代では、辻斬りがほぼなくなっているのです。

 

 これには諸説あるのですが、綱吉公は他にも弱者救済の政策を行っており、もし仮に、何の理由もなく切り殺される庶民を救うために、あえて天下の悪法を計算のもと実行したのだとしたら、これはものすごいことです。

 

 例えば、辻斬りってひどいよね、なんとかしなきゃ、となった時に、将軍は武士の統領なんだから、将軍が侍に「辻斬りはするな!」と一言命令をすればいいと思うかもしれませんが、それで果たして辻斬りはなくなるでしょうか? 

 

 これは、確実に全ての武士達から猛反発を受けるでしょう。 刀は武士の魂であり誇りであり、庶民の命より重いものであり、武士に人を斬るなと言うことは、武士のプライドを踏みつけるようなものだと受け取られたでしょう。 そうなると、将軍とて立場はなくなり政権自体が根元から崩れる可能性もあります。

 

 武士の反発が強くなれば、さらに辻斬りが横行し、多くの犠牲者が出ても不思議ではない。 そこで考えに考えた綱吉公は、当時江戸の町で問題になっていた野良犬問題に目を付けます。 人口が当時世界的に見ても多かった江戸の町は、ゴミ問題からそれをあさる野良犬が大繁殖していました。

 

 人を斬ってはいけないというと、武士の猛反発をくらう。 ならば、犬を斬るなと言ってみたらどうか? 

 

 当時の江戸の町は、辻斬りで人の死体が転がり、野良犬の死体もゴミのようにあちらこちらに捨てられていた風景が日常です。 そこに、あの天下の悪法「生類憐みの令」を出して、生き物を大切にせよと命令をしました。

 

 生き物を大切にしましょう!というスローガンを掲げても、当然のように誰も耳を貸しませんし、社会は何も動きません。 
 しかし綱吉公は、人を斬っても処罰されない侍が犬を斬った時、実際にその侍を捕らえて死刑にしています。 それを見た江戸の町民も武士も、本気だ!と震え上がりました。 

 

 武士に人を斬るなとは言えない時代、犬を斬るなという生類憐みの令は、一応武家としては将軍の世継ぎを誕生させるための政策なので文句は言えないわけです。

 

 さて、こうなったら、プライドの高い侍はどう思うでしょう。 人は斬っても罰はなし、犬を斬ったら死罪って、人は犬以下なのか? そんなら犬を斬れないから人を斬っているように見られるじゃないか! そんなのかっこ悪いよね! じゃあ、人を斬るのもや〜めた!!

 

 この、人の心理と社会心理を読み切って、生類憐みの令をあえて出したとしたら、どうでしょう? 綱吉公は、大バカですか? 自分はバカと言われようが、犬公方と言われようが、老中や家臣に総スカンくわされようが、斬り捨てられる無実の庶民・弱者のために、どんな不名誉を受けようが、辻斬りのない安心して暮らせる町を作ったのだとしたら、もうもう、寒気がするほどの天才中の天才、大大大名君です!

 

 もちろん、本当にただのバカで、ただの結果オーライだった可能性も否定できませんが、綱吉公は、他にもただのバカにはできない偉業もやっています。

 

 綱吉公は、肩こりでした。背中もバリバリで、針治療を受けていました。その針治療をしていた人が江戸家中でも有名な鍼灸師で、盲目の人でした。 

 

 その腕前に感服した綱吉公は、ほうびを取らせると言って望を聞きました。 そしたら、その鍼灸師は、江戸には私のような盲人が多数いて、その暮らしぶりはひどいものです。食うか食わずの最低の中の最低限の暮らしをしています。 どうか、盲目でも仕事ができるように、盲人のための鍼灸師養成学校を作ってください、とお願いしました。 
 綱吉公は、その望を聞き、学校を作り盲人が鍼灸師として働けるようにしました。

 

 当時は針治療も高額で庶民は受けられませんでしたが、盲目の人が多数、鍼灸師として治療院を開くことになり、安価で針治療が受けられるようになり、結果、盲人の生活が成り立つようになったばかりでなく、江戸の庶民の健康にも多大な貢献をしました。

 

 また、綱吉公の時代には、元禄大地震、宝永大地震、富士山の大噴火という、大災害がわずか4年の間に続けて起こりました。 

 

 たった4年間で、関東大震災と南海トラフ地震と富士山の大噴火が起こったのと同じことです。 特に富士山の大噴火の時には小田原藩(静岡県)のほぼ半分が壊滅的被害を受けました。 

 

 この復興事業で、普通なら、金は出さん復興もそっちでやれ、こっちでやるなら領地は召し上げると言いそうなものです。

 

 それを、綱吉公はその被災地を一時的に幕府の預かりとして、幕府のお金で復興し、復旧した後でちゃんと小田原藩に返しています。 これだけでも、天下の名君と言ってもいいくらいです。

 

 そして、庶民が辻斬りの心配がなくなり安心して生活できるようになったことで、心のゆとりや生活の楽しみを持てるようになり、そこから江戸時代の日本のルネサンスとも言うべき元禄文化が花開いたのだとしたら、この業績も偉大です。

 

 綱吉公は、自分はどう思われようと、何を言われようと、常に庶民や弱い者の事を考え、救おうとしていたのだとしたら、カッコイイぜ!綱吉さん!! 
 そんな可能性がある以上、僕はそっちを信じたいと思いました。