入院エピソード

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私の入院した時のエピソードを紹介します。

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シロハ便り 第102号 2017年7月

 

入院エピソード

 

 7月になりました。 今月、右膝の半月板の手術を受けてきます。

 

 10年前に左膝の半月板も同じように手術を受けたので、大体どういう感じかは分かっています。
 手術後2〜3日は腫れていると思いますので松葉杖を使うことになりますが、腫れがひいてしまえばもう普通に歩けます。

 

 それでも、今月は多少痛みが残るかもしれませんので、施術中お見苦しい点をお見せするかもしれませんが、施術には支障ありませんので、よろしくお願いいたします。

 

 おそらく、一般の人に比べて私の術後の回復は早いと思います。自分でケアがしっかりできますので。
 早く回復させ、おもいきり運動したいです。 運動不足でお腹がヤバい(-_-メ)

 

入院エピソード

 

 私も何度か入院したことがあります。10年前の左膝の手術のときも4〜5日入院していましたし、扁桃腺の手術をした時も入院していました。 子供の頃も何かで入院したことがあったかもしれませんが、よく覚えていません。 ですので、私が初めて入院した記憶は20歳の時に目が見えなくなった時だったと思います。

 

 20歳の頃、オーストラリアへ3カ月くらい遊びに行っていたことがあります。 帰国後1週間くらいして、バイトの新聞配達をしていた時、強い頭痛があり、明け方になってもいつもより明るくならないなと思っていました。 バイトから帰ってきて仮眠をとり勉強しようと起きたら世界がセピア色になっていて、物の輪郭がやっと認識できるくらいの視力になっていました。

 

 慌てて病院へ行き検査を受けたら、目がほとんど光に反応していないということで即入院となってしまいました。 バイト先などへ連絡しようと小銭を出しても10円玉と100円玉の区別もつかないくらい見えなくなっていました。 ちなみに今では見えずとも触った感覚で小銭は選別できます(施術者の指の感覚として)

 

 そこで入院後様々な検査を受けたのですが、結局は原因不明でした。 治療としては1カ月間、ステロイドの点滴を受けて、視力は徐々に回復し、1か月の入院と2カ月の自宅療養で視力も完全に回復し現在に至っています。

 

 20歳で失明するかもしれないと言われて始まった入院生活でしたが、実は落ち込むというよりむしろ楽しい入院生活でした。 見えないということはテレビも本も漫画も見れないので、初めは退屈でしたが、発見したこともありました。

 

 自分は人見知りであまり人との会話が出来ない方でした。 友達とのおしゃべりを何時間もしているという人が信じられないくらい、会話とかおしゃべりとか、人と話して何がそんなにおもしろいの?という性格でした。

 

 それが、目が見えなくなって、見えないからつまらないので代わりによく聞くようになり、周りの人の会話とかをそれとなく聞いているようになりました。 そしたら、結構おもしろかったんです。

 

 確か8人くらいの大部屋だったと思うのですが、その当時眼科病棟が満室で、私が入院した病棟が循環器外科の病棟でした。 そこには心筋梗塞とか高血圧で倒れた人とかが入院していて、皆さん年配の人だったんですが、まあ、話がおもしろい! その当時はバブルの真っ最中で景気も良かった時です。大体、そんな時代に猛烈に働き、豪快に遊んで身体を壊して入院しているような連中ばかりが集まっていましたので、その話もデカイです。

 

 その中に、不動産をやっている社長さんがいて、この人がまた、すごい豪放磊落な人でおもしろかったです。

 

 「仕事中にベンツを運転してたら脂汗が出てきて、心臓が悪いのは前々から自分でも気がついていたけど、病院で入院なんて真っ平ごめんだから、ちょこっと診察を受けてニトロをもらってすぐに帰ろうと立ち寄ったこの病院で、到着直後に倒れて緊急手術になっちまったんだ!・・・」と、豪快に笑いながら話をしていました。

 

 この人は当時の私にはかなり衝撃的な人で、その人は大金持ちでしたが個室に入院するのは嫌だ、集中治療室も嫌だと言い張り、「すぐに大部屋へ移してくれ」と言って、私のとなりのとなりのベットに移されてきました。

 

 「俺は誰かとしゃべってないと、それこそ死んじまうぜ! ガハハハハ・・」と言って、まだかなりの重体であったようでしたが、ずっと相手を見つけてはおしゃべりをしていました。 なんという生命力というか、とにかく衝撃的でしたね。 しかも聞いていてその話が抜群におもしろい!

 

 「バブル真っ盛りだったから、大儲けして飲みに行って、手持ちの金がなくなると同行していた銀行の担当者に、金庫開けて金もってこい!と言えば、その担当者も遊びたいから飛んで行って、銀行の親金庫開けてでも金もってきたぞ・・・」とか。

 

 「手術後に熱があったから、点滴と水枕をされていたけどそれじゃダメだと氷嚢を持ってこさせた、それで自分の脇腹とか足の付け根を自分で冷やしたんだ。 点滴も、それだけじゃダメなんで、バナナもってこいと言って、まだ食べられませんって言われたが、バナナもってくるまで点滴はやらせんと言ってバナナをもってこさせ食ったから助かったんだぞ・・」とか。

 

 「手術後目が覚めた時、かあちゃんが来ていてその手を見たら、色がどす黒くてシワシワになってるのを見て、ああ〜・・かあちゃんに心配かけたんだな、悪いことしたなあ〜って思ってたら、その手の下からぬ〜と手が出てきて俺の手を掴んだんだよ。 それがかあちゃんの手だった。血色のいいツルツルの肌してやがってさ、さっき見てたのは俺の手だったんだよ・・・。 あん時ほどビックリしたことはなかったね・・ガハハハハ」とか。

 

 集中治療室にいた時から担当でついていた若い看護婦さんがいて、その子をかなり気に入っていたようで、
「ああ、これ俺の女な・・」とかも言っていました。今ではセクハラ発言満載な感じでしたが、まだおおらか時代だったので、その若い看護婦さんも、ハイハイ・・と言って軽くあしらっていました。

 

 「治ったら飲みに連れてってやるぞ」とか言っていて、看護婦さんが「毎日どのくらい飲んでたの?」と聞いたので、「まあ高級な酒を浴びるほど飲んでいたな、タバコはショートホープを100本は吸ってたかな、酒飲んでるといくらタバコ吸っても消えちゃうからな」と言っていました。看護婦さんが、「ん?1か月に100本?」って聞いたら、「バカ!1ヵ月かけて100本吸うバカがいるか! 1日100本に決まってるだろ!」とか言って・・・ん???

 

 看護婦さんも唖然としていましたが、そのやりとりが近くで聞いていておもしろかったので、負けるな!
「1日100本もタバコ吸ってたからこんな病気になったんでしょ、バカはどっちよ!」って言い返してやれ!と心の中で応援して楽しんでいました。

 

 でも、その人はやさしいところがあり、私が見えない時に病室の入り口の上にあった時計を見ていて、時刻を識別するのに時間がかかっていると、ベットの上から、「おお、もう4時10分前か、もうすぐ飯だな・・」とさりげなく教えてくれたりもしました。 そして私が回復してきて、時計を見るしぐさも気づいていて、「おお、時計を見てもすぐにさっと歩きだすんで、大分よくなってきたんだなと思ってたよ」って私が退院する時には言ってくれました。

 

 私は見えない分、その人の話が余計におもしろく楽しかったし、会話のおもしろさを知りました。 そして、目が見えないと、人と面と向かっても恥ずかしくないことに気づいたので、今度は自分が見えないことを使って、いたずらしたり、人とおしゃべりすることも楽しくなっていきました。

 

 はっきりと細部まで見えないけど、人の輪郭とかなんとなくの表情はわかるようになってきた時には、その表情とそこから感じる雰囲気は、はっきり見える時よりも遙かによくわかるような気がして、会話をしていても話術が出来るようになっていきました。 人気芸人さんのように、会話の中で人をもちあげてみたり落としてみたりしながら話を盛り上げるみたいな、そんな楽しい時間をもつことも出来ました。

 

 退院して、視力が完全に回復したら、また元の人見知りの引っ込み思案な性格に見事に戻ってしまいましたが、あの当時の入院生活は今でも懐かしい良い思い出になって残っています。

 

 さて、今回の入院では、4日間しかないのでそれほどおもしろいことはないと思いますが、なるべく大人しくしていようと思います。

 

 間違っても営業してこないように気をつけます。 「そんなの手術しなくてもいいんじゃん」とか言って回ると怒られちゃいますからね・・・。 腰が痛い人を見ても、首が痛い人を見ても、じっと黙っておとなしくしています。 でも、これが一番辛い、今回の入院になるかもしれませんね。