手術エピソード

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私が受けた手術でのエピソードを紹介します

手術エピソード

シロハ便り 第101号 2017年6月

 

手術エピソード

 

5月にお休みを取って、今年も福島県白河市のレジーナの森へ旅行に行ってきました。

 

その近くにゴルフ場があり、高原ゴルフをするのが楽しみで、今年も行ったのですが、その時に去年から痛めていた右ヒザがピキっとズレた感覚があり、そこから痛みが再発してしまいました。

 

元々半月板が切れていることは分かっていたところですが、完全にそこが動いた感覚で、それから3〜4日は右ヒザが曲げられないくらいの痛みでした。

 

今回は観念して、半月板の部分切除の手術を受けてきます。7月4日(火)から7月11日(火)までお休みさせて頂きますのでよろしくお願いいたします。

 

手術エピソード

 

 何でもそうですが、手術って嫌ですよね。なるべくならば手術しないで治したいものです。けれども、どうしようもない時はあります。

 

 私は今までに2回手術を受けたことがあります。1回目は30代の時に扁桃腺の摘出手術を受けました。2回目はちょうど10年前に左ヒザの半月板の部分切除の手術を受けています。

 

 人生で、そう何度も経験するものでもない手術ですし、何回もやりたくはないものですが、その経験をした時にはそれぞれ色々なエピソードもあります。今回はそれを書いてみたいと思います。

 

 1回目の扁桃腺の手術の時、30代でサラリーマンをしていた時代ですが、扁桃腺が腫れて頻繁に40度近い熱を出していた時期がありました。私は子供の頃からあまり丈夫な方ではなく、とくに喉が弱かったので、子供の頃に扁桃腺を取ってしまおうかという話もあったのですが、親が乗り気ではなくそのままにしていました。

 

 それが大人になり30代になって、さすがに年に3〜4回も高熱を出すようではいけないだろうと思い、大人になってからの扁桃腺の手術は大変だよという噂も聞くのですが手術をすることにしました。

 

 私が扁桃腺の手術を受けるのに際して一番恐れていたのが、術後の抜糸でした。喉の奥を切って扁桃腺を取りだして、傷が治ったら抜糸をするものだと思い込んでいたのですが、先生に伺ってみたところ、扁桃腺の手術では傷を縫わないので抜糸の必要もないということでした。これには心底ホッとしたのですが、先生のお話では、そのかわりに傷に粘液のようなものがしばらくからまるようになるから少し苦しいかもしれないということでした。

 

 でも、それが瘡蓋(かさぶた)の役目をして傷を保護し治していくから我慢してねということでした。

 

 そして入院したら、同年代の男性がいて、話をしたら同じ扁桃腺の手術を受ける人で、手術日も同じ日で私の手術のすぐ後ということでした。親近感が出来たので色々と話をするようになったのですが、私はのんびりと治せばいいやと思っていたのに対して、その人はがんばって1日でも早く仕事に復帰したいという感じでした。

 

 入院は2〜3週間と言われていました。私は予定通りでいいと思っていたのですが、その人は2週間以内に退院するという意気込みだったです。

 

 そして手術が終わり麻酔から覚めて、初めに感じたのがやはり喉にへばりつく粘液の気持ち悪さと喉を塞ぐような苦しさでした。唾を飲んでも痛く、声を出そうとしても痛かったです。

 

 そこへ看護師長さんがやってきて、イソジンをもってきて、これで何度もよくうがいをするようにと言いました。そして手術後つばを飲み込むのも痛くて出来ないのに、何か食べろとうるさく迫ります。私は必死に首を横に振り、無理だと主張して食べませんでした。

 

 数日後、同じ日に手術を受けた人に洗面所で会って、かすれる声で「どう?」って聞いたら、「ガンガンうがいしてがんばってるよ!」と言いました。昨日アイスを食べたら喉が楽になって、それからずいぶん良くなったとうれしそうに話していました。

 

 私は、声帯を使うのも辛いので極力声も出さないように安静にしていて、点滴が終わってナースコールを押した時にも、「どうされました?」というインターホンの声に対して返事をせず黙っていました。しばらく沈黙していると「今、伺います。」と言って看護師さんが来てくれていましたが、あまりにも返事をしない私に、けっこうムカついている様子で来る看護師さんもいたようです。喉の手術をしているのがわかっているのだから、声を出すのが辛いんだなという思いやりはないのかと、少しこちらもイラついていましたが、どうやら手術をしたところを安静にさせるよりもどんどん使った方が早く治るという風潮があるような気がしました。

 

 そんな背景もあり、私はあまりよく思われていなかったようで、頻繁に看護師長さんがやってきては、一回も使っていないイソジンのボトルをチェックして、「ちゃんとうがいしなさい!」とか、「同じ日に手術した人は言うこと聞いているから、こんなに良くなってきた」とか、かなりチクチク言われていました。

 

 あまりにうるさいので、執刀医の先生の診察の時に先生に言いました。「看護師長がうがいしろとうるさいです、この粘液はかさぶたの代わりならば、無理にはがす行為は慎むべきでしょ!」と。

 

 先生は、その通りだとおっしゃってくださり、後で看護師長にはよく言っておくよと言ってくれました。

 

 そのすぐ後に、看護師著がムスッとした顔でやってきて、「先生から話は聞きました・・・でも、全くやらないよりいいんだからね!」と、負け惜しみの捨て台詞をはいて戻っていきました。

 

 そして術後2週間して私は順調に回復し、予定通り入院2週間で無事退院。1ヶ月後にもう一度診せてねと先生に言われて帰りました。その1ヶ月後、先生の診察を受け、全く問題なしということで終わったのですが、その時先生から、「そうそう同じ日に手術した人が昨日退院したんだよ」と聞かされました。ん!?・・・・。

 

 ということは、6週間も入院してたということ?? そういえば、私が退院した時も、そのしばらく前から姿をみないなと思っていて、退院のあいさつも出来ずにいました。

 

 先生になぜ?と聞いたら、「君が退院した日にその人は再出血をして大変だったんだよ」と教えてくれました。

 

 やっぱりというか何というか、その人は私と違って素直な性格で、早く復帰したいとがんばる真面目な人だったんです。だから不幸にも人の言うことを素直に聞いちゃったんですね。

 

 誰だよ!!!! 傷を守っているかさぶたを生爪でひっかいて剥がすようなことをさせたのは!!!!!と、よほど言ってやろうかと思いました。

 

 今でも得意満面で、「同じ日に手術を受けた人はちゃんと言うことを聞いているから、すごく良くなってるよ」と嫌味を言いに来た看護師長の顔は覚えています。

 

 この時ですかね、ある程度の地位にいる病院関係者でも、人の身体のことはよくわかってない人もいると、私が強く思うようになったのが。

 

 医者や医療は処置をすることは出来ても、身体を治すのは本人の治癒力であり、生き物として動物として、傷を治すとか病気を治すのは本能的な原理原則があります。時折、医療においては、その原理原則が無視されているケースがあるのではないかと強く感じる時があります。

 

 さて、今回は10年前に受けた左ヒザの手術と同じことを右ヒザに受けます。実に10年ぶりにその時手術を受けた病院に行きました。そして同じ先生の診察を受けることが出来たのですが、ずいぶん様変わりをしたなと思いました。

 

 一番変わったのが、カルテの電子化です。先生は話は聞くけれどもその内容をずっと私に背を向けキーボードを叩いて入力している感じで、あまり顔を合わせない感じの診察です。まあ、それはいいとして、10年前に比べてずいぶん恰幅がよくなったなと思いました。前はもっと顔が小さかったような気がします。まあ、この10年でずいぶん偉くなったようですし。

 

 私も10年ぶりなので、少しおべっかを使って、10年前に手術してもらった左のヒザは、その後全く痛くはならなかったですよ、と言ってあげました。医者は完治した患者がどうなったのか知る機会はかなり少ないと思ったからです。それを聞いた時、先生はパソコンの画面から顔をこちらに向け、ちょっとうれしそうに「よかったです!」と言いましたが、こう付け加えました、「あれから10年歳をとっているから今回は前回ほどよくなるとは限らないよ・・」と。

 

 左ヒザを手術した時に右のヒザも検査をして、同じように半月板が切れているのがわかっていたので、左ヒザが落ち着いたら右も手術しようと言われていて、それを10年放置していたので、その分の嫌味がちょっと入ったのでしょう。

 

 よし! そのケンカ買った! 10年前とは違うのだよ!私の回復力は!10才歳をとったから回復力が弱くなったと思うのは医者の理屈で、傷を治す方法や身体の状態をケアする能力は、私は格段に10年前より高くなっているのだよ! 今回は前回を上回る超回復をしてみせてやる!!